建築のこころから住宅のこころへと繋がってほしい菊竹清訓展

10月29日本日より、国立近代建築資料館にて、企画展「建築のこころ アーカイブにみる菊竹清訓展」が開催されています。(2015年2月1日まで)

2014.10.29[水]-2015.2.1[日]

建築のこころ アーカイブにみる菊竹清訓展

開館時間 10:00〜16:30 休館=2014.11.1、2014.12.29~2015.1.3

建築家菊竹清訓は、生涯を通じてその代表的な論考「代謝建築論」を礎に置いて、精力的な建築活動を行い、東日本大震災のあった2011年の12月に、享年83歳で他界しました。日本から世界へ向けて発信され、大きな影響力をもったメタボリズムグループの建築家の、中心的なメンバーの一人として、今日なお注目され続けています。

その活躍した時代は、第二次世界大戦後の復興に始まり高度経済成長を迎え、東京オリンピックや大阪万博が開催されるなど、日本の戦後近代の顔が形づくられた時代に重なります。奔流のように流れ込む海外からの文化が国内に浸透し、生活スタイルも大きく変化する中で、菊竹は日本人としての誇りや日本文化のアイデンティティの喪失を危惧し、人間と「こころ」をかよわせる建築、人間のこころを育む建築を目指しました。その次世代に向けたメッセージは、グローバル化した今日、地球環境の保全が叫ばれる現代社会にあって、より一層示唆的なものとなっています。

その活動を振り返る本展では、原図や当時の写真、スケッチやメモ、模型などの建築資料を次の4つの視点から紹介し、生活環境の問題と格闘し、生涯を建築家として生きた菊竹の根底にあった大胆な発想や思想の原点に触れたいと思います。

建築のこころ アーカイブにみる菊竹清訓展

菊竹氏と言えば、住宅の400年周期を唱えた方

菊竹清訓氏の印象と言えば、建築家としての建物の設計よりも、「住宅の400年周期」のことが印象に残っています。

過去記事参照:「今の家づくりは400年に一度の大仕事!

また、2011年に六本木の森美術館で開催された、「メタボリズムの未来都市展」で、

建築のこころから住宅のこころへと繋がってほしい菊竹清訓展 建築のこころから住宅のこころへと繋がってほしい菊竹清訓展

展示されていた菊竹氏の映像の中で、自邸・スカイハウスのエピソードとして、

「子ども部屋を作っても、子どもたちは結局、リビングなど居心地のいい場所にくる」

みたいなことをおしゃっていたのを覚えています。(うろ覚えです…)

またこの方、他の建築家と比べても、いつもニコニコしてるんですよね。

そういえば何年か前、島根&鳥取に行った時、設計された東光園に泊まりたかったのですが、満室でした(泣)

建築のこころから住宅のこころへと繋がってほしい菊竹清訓展 建築のこころから住宅のこころへと繋がってほしい菊竹清訓展

菊竹清訓 / 東光園

展覧会を観て、建築のこころから住宅のこころへと、何か結びつくといいですね。

「建築のこころ アーカイブにみる菊竹清訓展」

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ABOUTこの記事をかいた人

井内智哉

設計事務所勤務時に、建築家ネットワーク会社・アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)とのコラボしたブランド住宅「AROS」の全国展開に宣伝・広告として携わる。ミサワホーム創業者の三澤千代治氏の新事業・200年住宅「HABITA」の立ち上げから携わり、宣伝・技術・営業・企画などの経験を積む。後に全国の地域工務店200社以上を束ねる住宅のフランチャイズ事業にまで成長。その後、デザイン住宅を軸にした注文住宅の事業「ソラマド」の全国展開に携わる。WEB集客やコミュニティの構築、関東・東海地域の市場開発、提携工務店への研修など、年間150棟ほどの住宅設計のマーケティングサポートを行う。また2013年1月、同社にて新規事業のDIY・リノベーションを提案するお店を立ち上げる。2013年6月より、住宅業界専門のネットマーケティングコーチとして独立。工務店フランチャイズ本部や同業他社とも連携し、地域工務店のサポートや研修などを経て、年間棟数20棟未満の小規模工務店の経営者向けにノウハウやコンテンツを提供している。2014年10月~2015年3月まで日本住宅新聞にて、歴代最年少執筆者として連載。