集客優先な工務店が多いけど、お金が回る仕組みをつくった上で集客しないと意味がない!

集客優先な工務店は非常に多いです。だから、「無料で集客」「画期的な方法」「◯◯を使って…」みたいな謳い文句が市場には多いですよね。

私も集客やマーケティング路線から、経営路線に事業を切り替えましたが、決して集客することそのものを否定しているわけではありません。

集客は永遠の課題で悩みが尽きることはありませんので、集客自体はしていかなければならないことではありますが、「集客方法」ってめちゃくちゃ再現性低いですからね。それを知った上で集客に取り組んでいる工務店経営者って、実は少ないですよ。

同じように再現性が低いのがFCやVC加盟です。

「FC・VC加盟」から得られる利益は再現性が低い

最近では、月◯万円などの低額な加盟サービスが増えてきました。相談をいただく工務店の中にも「◯◯に入りました。」なんて方もいらっしゃいます。いろいろ内情を聞くと、再現性の低さが露呈してきて、「切りの良いタイミングで卒業しましょう」とアドバイスをしています。

例えば、ローコスト規格住宅系で「本部からこの価格で販売してください」という仕組みのものは、小さな工務店が入るべきではありません。

簡単にいってしまえば、扱う商品(提案する住宅)と資本(会社の状況)がマッチしてないことが大半です。

とある工務店では、「注文住宅を増やしたい」からとの想いから、ローコスト規格住宅のFCに加盟していました。その商品の粗利は1棟200万円ほどです。どう考えても低すぎです。

実際、経営シュミレーションをしてみると、今まで、リフォーム+注文住宅を年間2~3棟しかこなしてきてない会社の規模で、注文住宅だけだと年間20棟ほどこなさないと、採算が取れない状況になっているのです。

集客優先な工務店が多いけど、お金が回る仕組みをつくった上で集客しないと意味がない!

シュミレーション

FCに加盟したら販促費が余計に掛かったり、加盟料とか毎月掛かってきますからね。

最近のローコスト系規格住宅のFCは、本部が販売価格を決めているところが多いですが、ほぼ間違いなく、1棟200万円の粗利益など、工務店の粗利益を削るやり方です。そんな言うことを聞いていたら、疲弊して倒産しますよ。

こんな状態で、集客をしたとしても、お金が回る仕組みになっていないため、どんどん疲弊していきます。ましてや、必ず集客できるわけではないですからね。

じゃあ、どうやってお金が回る仕組みをつくるか?

色々な方法はありますが、まずは商品の粗利益額を高めることでしょう。「=FCの商品を売らない」ということでもあります。

工務店に限らず、どの会社も下火になり始めたら、新たな商品やサービスを開発して、提供していくものです。結局これが企業の永続的な成長に繋がるので、欠かせないことになります。

「加盟して売る・仕入れて売る」だけの代理店になったらダメなんですよ。代理業務で上手くいくのは、セールスマンがたくさんいる会社だけですよ。

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ABOUTこの記事をかいた人

井内智哉

設計事務所勤務時に、建築家ネットワーク会社・アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)とのコラボしたブランド住宅「AROS」の全国展開に宣伝・広告として携わる。ミサワホーム創業者の三澤千代治氏の新事業・200年住宅「HABITA」の立ち上げから携わり、宣伝・技術・営業・企画などの経験を積む。後に全国の地域工務店200社以上を束ねる住宅のフランチャイズ事業にまで成長。その後、デザイン住宅を軸にした注文住宅の事業「ソラマド」の全国展開に携わる。WEB集客やコミュニティの構築、関東・東海地域の市場開発、提携工務店への研修など、年間150棟ほどの住宅設計のマーケティングサポートを行う。また2013年1月、同社にて新規事業のDIY・リノベーションを提案するお店を立ち上げる。2013年6月より、住宅業界専門のネットマーケティングコーチとして独立。工務店フランチャイズ本部や同業他社とも連携し、地域工務店のサポートや研修などを経て、年間棟数20棟未満の小規模工務店の経営者向けにノウハウやコンテンツを提供している。2014年10月~2015年3月まで日本住宅新聞にて、歴代最年少執筆者として連載。