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倉敷美観地区の立役者!コルビジェに初めて遭った日本人建築家・薬師寺主計
岡山の倉敷という街に行ったことはありますでしょうか?
倉敷の魅力
大原美術館や、その創設者の実業家・大原孫三郎の旧別邸・有隣荘など、そしてその付近の町並がとても綺麗でして、その昔の町並みを綺麗に残していることから、美観地区に定められています。
なんでも、現在の美観地区は、もともと旧市街地だったらしく、民間の大きな力で成し遂げたまちづくりであり、大原孫三郎氏の功績は大きいとのこと。その思いは、代々引き継がれ、今日の倉敷があるのは大原家三代の歴史があるからと言っても過言ではないようです。
ただ、大原孫三郎氏は実業家ですから、設計などの実務部分はできません。倉敷の街づくりにおける実務の部分で、目を掛けられた建築家がいたんだそうです。その人物が、薬師寺主計。
コルビジェに初めて会った日本人建築家・薬師寺主計
薬師寺主計(1884-1965)は、大正から昭和初期にかけて活躍した建築家。
陸軍省に入省し、在職中の欧米建築視察でル・コルビュジエに、日本人の建築家として初めて見出されています。また、初めて天皇の建築技師となり、関東大震災後の陸軍施設復興の最高責任者として活躍するなど中央でも多くの実績を残しているとのこと。さらには、日本で最初にアール・デコを表現し、倉敷をつくり上げた異色の建築家でもあります。
・・・非常に興味深い人物です。陽の目を浴びてないのが不思議です。
当時の日本ですと、ちょうど戦争への熱が加熱している最中ですから、そんな中、「建築」に携わっていることに、興味がわきますね。
書籍『天皇に選ばれた建築家 薬師寺主計』
内容説明
ル・コルビュジエの真髄を取り入れて天皇の技師となり、日本で最初にアール・デコを表現し、倉敷をつくり上げた異色の建築家がいた。日本が太平洋戦争へと照準を合わせて行こうとする最中、数奇な運命を受け入れながらも「建築」を超えて町をつくり、時代を築いた。彼の周囲には常に奇才と呼ばれる人間たちが集った。いったい薬師寺主計とは何者だったのか。現代に至るまで多大な影響を与え続ける建築群と「人間味」そのものであった彼の生き方を明白にする!
目次
第1章 消えた建築家
第2章 陸軍省における活動
第3章 ル・コルビュジエの発見者
第4章 日本最初の近代工場群をつくり上げる
第5章 アール・デコの建築家
第6章 「有隣荘大原孫三郎邸」設計への思い
第7章 大原美術館の知られざる誕生史
終章 戦争に消える