夢建人という「建築家との家づくり」のはしり

日本最大級の建築家ネットワークといえば、アーキテクツ・スタジオ・ジャパンが一番最初に浮かびます。

主な事業内容は、全国の建築家と技術力の高い建設会社・工務店をネットワーク化し、住宅や商業施設などの建設を検討している施主に、建築家を活用した建物づくりの選択肢を提供する「ASJ建築家ネットワーク事業」を展開しています。

実は、昨年12月に、東証マザーズに新規上場されています。何年か前から上場の話は聞こえていましたが、ついにですね。また、この4月には横浜に、建築家情報空間『ASJ YOKOHAMA CELL』がオープンします。

夢建人という「建築家との家づくり」のはしり
アーキテクツ・スタジオ・ジャパン

「誰でもどこでも、建築家と家を建てられる」をテーマに、建築家と消費者をダイレクトに結ぶシステムを築き上げ、業界の度肝を抜いたアーキテクツ・スタジオ・ジャパンですが、同じ代表者であり、その前身の「夢建人(ゆめたつじん)」については、あまり情報が出回っていません。

非公開?と思いきや、そうでもないみたいなので、上場記念も含め?私が知っている部分で公に書ける範囲で書いていきますね。

目次

「建築家との家づくり」という新たなジャンル

90年台半ばの話になります。世の中に建築家は大勢いるけど、一般の人はほとんど知らない時代、即座に5人名前を挙げられる人がいたら、すごいと言われてた時代です。そんな時代背景ですから、その建築家が建てた家に住んだとしたら、自慢できるわけです。

「セキスイ、ダイワ、ミサワに住んでます。」というのとは、また違うブランド感があるんですよね。

建築家ってビジネスになるのか?という切り口から、建築家というブランドにはマーケティングの可能性がある、という答えが見つかり、事業を立ち上げたのが「夢建人」(ゆめたつじん)でした。

当時、建築家として在籍していた中には、安藤忠雄建築研究所、高松伸建築設計事務所、村野・森建築事務所などの有名な建築家の事務所出身者もいたようです。

今と比べると、黎明期ということを感じますが、建築家という存在を身近なものにし、建築家とビジネスを結びつける仕掛けを作り、建築家との家づくり、そして、デザイン住宅のはしりになったのです。

その一昔前、プレハブ住宅という新しいジャンルが出来上がったように、住宅の中に「建築家」という新しいジャンルを作るきっかけになりました。

そして、関西地区を軸にしていた夢建人は2000年に、ホンダベルノ東海と提携し、中部地方への展開を図ります。当時の資料が残っていましたので転載します。

ホンダベルノ東海は住宅建設の夢建人(大阪市、丸山雄平社長、)と提携して住宅事業に進出した。
ベルノ東海が住宅事業を手掛ける全額出資子会社を設立、夢建人は住宅事業のノウハウを提供する。
ベルノ東海の顧客は20代後半から30代が主力で、住宅購入を検討している人も多いと判断した。
ベルノ東海は夢建人のノウハウを取り入れて住宅事業を新たな収益源に育てる。
ベルノ東海が設立した子会社は夢建人中部(名古屋市)。
資本金は4000万円で、ベルノ東海の伊藤誠英常務が社長を兼務する。
夢建人の丸山社長が夢建人中部の取締役営業本部長に就き、顧客開拓や接客などを指導する。
最初の家屋の完成は来年5月になる見通し。
2002年3月期の売上高は10億円、建設戸数は25戸を見込む。
夢建人中部は来年3月末までに、夢建人へ第三者割当増資をする計画。
増資額は4000万円になるとみられ、両社の出資比率は50%ずつになる。
ベルノ東海は夢建人との関係を深めて住宅事業を早期に軌道に乗せる。
今後5年間で愛知、岐阜、三重、静岡、長野の五県で20店舗を開設し、2006年3月期に売上高280億円、建設戸数700戸を目指す。
夢建人は1998年の設立で、関西地区を営業地盤としている。
施主の希望に合致した家を設計できる建築家を選び、その建築家が設計した住宅を建設している。
2000年3月期の売上高は14億7000万円で建設戸数は38戸。

http://melma.com/backnumber_21482_507298/

また、関西系のケーブルテレビで番組も提供し、早くから映像戦略も行っていたようです。

勢いに乗って突き抜けるかと思いきや、そこは神様のイタズラ・・・

事業とはそう上手くいくものではないんですね・・・お金を使いすぎたのか、続かなくなり、見事に失敗していきました。請負までやっていたことも関係あるのかもしれません。

そして事業自体は、ホンダベルノ東海(現:VTホールディングス株式会社)が引き継ぎ、今のアーキッシュギャラリーへと変わっています。

夢建人という「建築家との家づくり」のはしり
アーキッシュギャラリー

しかし、それでも、やろうとしていることには可能性が感じられ、マーケットもできかけていたため、そしてその後、2002年にアーキテクツ・スタジオ・ジャパンを設立し、今に至るというわけです。

その道中には、前例のないことだったため、どうすればうまく行くかということで、なかなか答えが見つからずにもがいていた時期もあったようです。事業の成功の裏には、苦労が隠れていることがよくわかりますね。

今や、建築家の安藤忠雄氏と、建築史家でイタリア建築雑誌『Casabella』編集長のフランチェスコ・ダルコ氏の両者を、同時にお招きできるプラットフォームを提供できるのはASJしかいないですよ。

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