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生誕100年で再注目される建築家・増田友也
2014年の今年は、京都大教授を務めた建築家・増田友也氏(1914~81年)の生誕100年の年です。そして、本日・8月14日は彼の命日なのです。
建築家・増田友也とは?
経歴
1960年代に独自のスタイルによる建築を多数発表。京都大学で増田研究室独創的な建築空間論を確立した後、夢窓疎石の禅的な建築空間論研究から有形の作品を超えて道元の思想世界へと昇華し、ハイデッガーの建築的存在論へと展開。そしてその思索は「建築以前」へといたる。
1970代後半になって低迷していた財団の活動を活性化するため、当時の山路進理事長、谷山輝雄理事らによって京都大学工学部建築学科教授で建築家の増田友也が進めていた建築・都市の学際的な研究活動を支援する提案がなされ、1977年、関西における事業として支援をおこなった。
主な作品
wikipedia
- 東山会館 :1963年
- 鳴門市役所・鳴門市民会館 :1963年 市役所の各別館も増田研究室によって整備 DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築
- 鳴門市文化会館 :1982年
- 鳴門市勤労青少年ホーム :1975年
- 鳴門市老人福祉センター :1977年
- 京都大学総合体育館 創立70周年記念体育館
- 京都市蹴上浄水場本館 :1962年
- 京都大学工学部1号館、同6号館、同8号館
- 京都大学大型計算機センター計算機室
- 智積院信徒会館 :1966年
- 豊岡市民会館 :1967年
- 洲本市庁舎 :1961年
- 衣笠山の家 :1962年
- 京大会館計画案 :1964年-1969年
- 万博計画計画案 :1966年
- 福岡ワカ末ビル :1965年
- 西日本カントリークラブ 直方コースクラブハウス
- 京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑
東の丹下健三、西の増田友也
「東の丹下健三、西の増田友也」と言われてた時代があったのですが、丹下氏が大阪万博や東京都庁舎などの、大きな事業を次々と手掛ける陰に、増田氏は徐々に隠れてしまったようです。正直、建築関係の人でも増田友也氏のことを知らない人は多いですよね。
個人的には、野球選手で例えるなら、丹下健三=長嶋茂雄、増田友也=野村克也のような気がします。
生誕100年を迎え、再評価される動き
しかし、近年になり、老朽化などの理由から、増田氏の建築作品が解体され始めており、改めて彼の建築に日が当たり、再評価される動きが出ているようです。
増田友也が手掛けた住宅
手掛けた作品を見ると施設が多いのですが、戸建住宅もいくつかあります。
衣笠山の家 1962年
鉄筋コンクリート造2階建て、柱・梁はコンクリート打ち放しで、東西の壁面にはタイルが貼られる。南面のピロティが印象的な建物で、外観はル・コルビュジエのサヴォア邸を思わせるが、窓には木製の格子が取り付けられ、室内には襖、障子、長押が用いられるなど、随所に日本的な意匠をみることができる。西洋のモダニズム建築の造形に日本の伝統的要素を融合させた、いわゆる「日本的モダン」の趣をもつ。
居室空間は眺望を楽むため、2階に持ち上げられている。動線は来客用とプライベート用に分けられ、南側は社会的空間として、北側を私的空間として配置される。中央に置かれたコアには設備が収められ、それらを囲む厚い壁が耐震壁の役割を果たす。設計に用いられた1間1909mmのモデュールが空間全体に秩序を与えている。衣笠山の家(小林家住宅)
竣工年 1964年(昭和39年)1月 所在地 京都市 構造・規模 鉄筋コンクリート造、地上2階 敷地面積 1911㎡(579坪) 延床面積 240.13㎡(71.60坪) 設計者 増田友也(担当:粂田勲)、作庭:中根金作 施工者 藤木工務店(京都)
以前、期間限定で、一般公開もしていたようです。
北白川伊織町の家(小林邸) 1956年
1956年に増田友也氏が設計した住宅を、設計事務所テクトスタジオが全面リフォームしたようです。平成29年度の京都景観賞建築部門の奨励賞を受賞したとのことです。