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映画『人生フルーツ』家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。だけど、本音で暮らさない限り、宝石のように輝きはしない!
2015年にお亡くなりになられた、建築家・津端修一さんという方がいらっしゃいます。正直勉強不足であまり詳しくは存じ上げないのですが、アントニン・レーモンド、坂倉準三の事務所を経て、日本住宅公団で、「阿佐ヶ谷住宅」「多摩平団地」などをはじめとする多くの団地の設計を手がけられた方です。1969年には、高蔵寺ニュータウン計画で、日本都市計画学会石川賞を受賞されています。
その津端修一さん90歳と英子さん87歳、建築家夫婦の日常を描いたドキュメンタリー映画『人生フルーツ』が、今年1月2日から、東京のポレポレ東中野で公開されています。日を追って、他の地域でも公開されます。
テレビ番組を経て、映画化された「人生フルーツ」
二人のていねいな暮らしを追った東海テレビの番組『人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり』を経て、映画化されたようです。ナレーションを務めるのは女優の樹木希林さん。
高度経済成長時代の団地の設計なので、とりあえず建物(=ハコモノ)を建てるハコモノ主義なのかと思いきや、本人の考えは違ったようです。
自身が手掛けた高蔵寺ニュータウン計画は、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指した計画でしたが、1960年という経済優先の時代がそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地なってしまいます。
それを機に、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育て始めます。平らに均された敷地にわずかでも里山や雑木林を取り戻したいという思いで、自給自足の暮らしの傍ら「自由時間評論家」と名乗って活動されていたようですね。
自邸は、津端さんが設計した愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一角にあり、師である建築家アントニン・レーモンドのかつての自邸を模した家とのこと。そして、その自邸は、妻の英子さんと育んだキッチンガーデンに囲まれています。70種の野菜と50種の果実で彩られたキッチンガーデンは、和製ターシャ・テューダーの雰囲気がしますね。
家のあり様に、ひとつの答えしかないのは、つまらなさすぎる。
巨匠ル・コルビュジエの言葉『家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない』の言葉を、自分なりになぞるなら、「本音で暮らさない限り、宝石のように輝きはしない」だと思います。何も考えられず与えられたハコに、何も考えず住むだけなら、何に住もうが一緒のこと。だからこそ、本音で暮らすべきです。その本音を叶えるのが、家づくりのプロの仕事。
余談ですが、「本音で暮らさない限り、宝石のように輝きはしない」は、私の造語なのですが、こういうのって以下のように、業界関係者にしれっと使われるんですよね。勝手に自分の言葉として使うんじゃなくて、正しく引用してくださいな。その方が信用度は上がりますよ。
話を戻すと・・・
映画『人生フルーツ』で描かれているのは、津端修一さん90歳と英子さん87歳の建築家夫婦の暮らし方です。歳を重ねたからこそ表れている豊かさがあります。ですが、これはあくまでも、津端夫妻の答えです。皆が同じようにこの暮らしを実践すべきとは思いません。本音はそれぞれで違うはずです。また、修一さんが亡くなられた後、英子さんのその後の暮らし方は、ふたりで積み重ねた歳月を経たひとり暮らしですから、これまでとは違う変化があるのでは?
津端さんの本は、古いものは絶版していて、高値が付いてしまっていますが、昨年出版された「ふたりから ひとり」が映画の内容と重なっています。
映画『人生フルーツ』を観た感想
昨年末ですが観てきました。
建築家のドキュメンタリーはいろいろありますが、この映画はずば抜けて素晴らしいです。日常を追ったドキュメンタリーなので、建築論がどうとかではなく、生き方の話です。それぞれ好きなことをしながらも、寄り添う夫婦の生き方。
誰もができる生き方でもないと思いますし、また、生きた時代が違うので、「生き方を真似たい」とか、「皆がこういった暮らしをすべき」とは思いませんが、他の建築家では感じることのない、ていねいなやさしい時間が流れています。
ご自宅は、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家とはいえ、間取りが凄いとか、性能が高いとか、使っている設備が最新とか、そんなことは一切ありません。
ですが、幸せそうに心豊かに暮らしているその様子からは、幸せをもたらしてくれるものは、間取りとか性能とか設備とかではないということを感じます。間取りとか性能とか設備とかでは、満足感は満たされるかもしれないけど、幸せしてくれるものではないうこと。
そして、若干ネタバレになりますが、映画の中盤で、修一さんが亡くなります。畑の草むしりをした後、昼寝をしたまま起きてきませんでした。亡くなった修一さんに英子さんは寄り添い、お別れの言葉を掛けます。夫婦で灰になったら海に撒いてもらおうと約束してるようです。
病気や事故など、命の最後にもいろいろとある中で、「昼寝をしたまま永眠」というのには、“らしさ”を感じてしまいました。
ただ、女性とはたくましいものです。悲しみに暮れる英子さんでしたが、本来の前向きな気持ちを取り戻し、その後も、ナレーションを務めた樹木希林さんと居酒屋に行ったりと、たくましく暮らしていきます。
英子さんのその後は、「きのう、きょう、あした。」につづられています。89歳、初めてのひとり暮らしです。
89歳、はじめての一人暮らし。英子さんの新しい菜園生活が始まります。
しゅういちさん没後、何をするにも虚しく感じていた英子さん。食べることもおろそかになり、キッチンガーデンもなおざりに。
すっかり時が止まってしまいました。
本書は、英子さんが本来の前向きな気持ちを取り戻し、暮らしのペースを元通りに立て直すまでの、秋から夏までの1年間をおいかけたもの。
自身の力で新しい暮らしを切り開き、明日へ向かって生きていく英子さんの姿にご期待ください!
Twitter上での感想
2023年11月現在、映像配信はされてないですが、自主上映会を募集されています。
この映画は、全国でも上映していましたが、徐々に終了しています。現在はまだDVD化や映像での配信予定がないのですが、自主上映会を募集されています。結構、各地で上映されています。
メッセージ性の強い映画ですから、一緒に見て、一緒に考える上映会は、新しい出会いや、語らいの場、地域コミュニティとのつながりを生み出しますよ。
家を建てて、幸せを感じていないのはなぜ?
いろいろな生き方や暮らし方がある中で、「津端夫妻の様な生き方が絶対的に良い」というつもりはありません。効率性やスピード、利益を追い求める選択があってもいいとは思います。
でも、幸せって何なんでしょうね?家を建てて不幸とまでは言わないけど、幸せを感じていない人たちって沢山いませんか?なんとなくですが、幸せを感じて暮らしている人は、精神的な部分が満たされている人だったりします。
その精神的な部分とは、人それぞれ異なるので、考えていく必要はありますよね。何も考えられず与えられたハコに、何も考えず住むだけなら、何に住もうが一緒のことですから。