工務店の「脱LDK」が価値になりにくい理由

『脱LDK』という言葉をご存知でしょうか?

脱LDKとは、間取りを考える時に家族構成に合わせて何LDKにするという、近年の注文住宅ではスタンダードになってしまった間取りをやめ、LDKにとらわれない開放的な間取りを指します。

目次

脱LDKとは?

細かく挙げるなら、Lはリビング(居間)、Dはダイニング(食事室)、Kはキッチン(台所)の意味で、居間と食事室と台所が一体となった空間をLDKと言います。

なので、『脱LDK』とは、リビングだからこの役割、ダイニングだからこの役割、キッチンだからこの役割という、従来の固定概念から生まれる役割に沿って、空間を使うのではないことを指します。限定した使い方ではないということですね。

または、部屋そのものを可変性の高い空間にすることも『脱LDK』だったりします。例えば、一つの子ども部屋をゆくゆく真ん中で仕切って、兄弟で使用できるような空間にしておくとか。

つまり、住み手が自分の道具のように使いこなせるなら決まりはない、間取りにとらわれない『画一的な発想にとどまらない空間の使い方』ということですね。

浸透してない「脱LDK」

『脱LDK』という言葉は、私も10年ほど前から耳にしてましたし、使ってもいました。今では脱LDKをテーマにした記事もちょくちょく見かけます。

脱LDKの言葉の起源はわかりませんが、流行りのLDKに対するアンチテーゼからだと思われるので、ハウスメーカーや工務店ではなく、建築家から生まれたものかもしれませんね。

だからなのか、この脱LDKという考え方は、今では「建築家との家づくり」では標準的な考え方になっているのではないでしょうか。オープンな空間で、中を自由にコーディネートする感覚は、建築家の設計では鉄板になっています。工務店でも設計にチカラを入れているところは、脱LDKの間取りを取り入れてたりします。

ですが、まだまだ浸透していないんですよね・・・2013年に独立した時、もう当たり前だと思ってたのですが、今改めて振り返ると意外とまだまだでした。ただオープンな空間というだけの家もよく見かけますから、レベルの程度まで含めたらもっとです。

「住まいも環境」と捉えたら、限りある広さを、家族の人数に合わせて区切るのは、やっぱりおかしいんです。従来の間取りの考え方だと、30坪前後のコンパクトで小さな家でも狭さを感じさせてしまい、成り立たないんですよね。何部屋ではなくて、空間で考える必要があるのです。

また、家族も成長し、その在り方が変化するわけですから、その変化に合わせられる可変性が高い間取りにする必要があるのです。

ただし、脱LDKだから家が売れるというわけではない。

もちろん、「脱LDK」という言葉を使ったから、家が売れるというわけではないです。そして、逆転の発想みたいなところがあるので、全員に受け止められるものでもありません。

端折って、結論を言うと、つくり手側も、住み手側も、考えない人には無理ということです。ここに、オープンな空間にするということだけでは、成立しないポイントがあるんですよね。

例えば、狭小地域などの特別な条件を除くと、家族4人、床面積30坪のコンパクトで小さな家を狭いと感じる人は多いです。本当に必要な広さなんて知らないのに、35、40坪ほしいと普通に思っていたりします。土地が安い地方だと、なお、この思いが強いです。

でも、あくまで自身の体感値ですが、下手な設計の35坪より、脱LDKを取り入れた30坪の方が広く感じますし、広く使えます。そして、家族4人でも十分に暮らせます。別に家族4人で暮らすのに、30坪である必要はないんですが、普通の家よりは、質を落とさず、グロスで安くすむってことです。

つくり手と住み手が、ちょっと価値観変えるだけで、建てられない家も建てられるようになるってことです。

脱LDKが価値にならない原因

個室+LDKの間取り住宅の様に、誰でも建てられるごく普通の家で、結果を出せる人というのは、結局のところ、セールス力がある人や会社です。

それで、「そんな家づくりはおかしい」とか、「差別化しよう」ということで、オープンな空間による『脱LDK』を取り入れ、さらに、こんなことを掲げる会社は増えてきました。

例えば、以下のような文言があったとします。

間取りを考える時、個室+LDKという間取りの考え方は、戦後のハウスメーカーや高度成長期の公団住宅が合理的に家を建てるために考えた間取りの考え方です。

家族構成にあてはめて、「寝室」「ダイニング」「リビング」「子供部屋」など、機能に合わせて部屋割りすると、すごく合理的です。ですが、実際そんな家に住んでみると、部屋はいくつあっても物があふれたり、子供が個室に閉じこもったりして、家族の団らんは失われます。

そんな型にはまった家づくりでいいのでしょうか?それぞれの家族に合うライフスタイルがあります。オープンな空間をつくって、家族の成長に合わせた変化に対応できるよう、自分らしい暮らしを実現しましょう。

ですが、こういうことは何とでも言えますし、オープンな間取りも誰でもつくれます。

『脱LDK』って設計手法の様に聞こえますが、本質的なところは違うんですよね。10年前ならまだしも、今は、単なるオープンな間取りにするだけでは、 もうほとんど意味を成しません。決して、脱LDKにしたらから家が売れるというわけではないのです。

なぜなら、設計力のギャップと、住み手がついてこれていないからです。

設計と実装のギャップ

「脱LDK」の理念を実現するためには、単に間取りを変えるだけでなく、家全体の設計思想を変える必要があります。しかし、多くの工務店にとっては、学んできたことや実践してきたこととは違うため、このよう設計は簡単ではありません。そのため、言葉と実際の建築の間にギャップが生じることが多く、結果として「脱LDK」の真の価値を生み出すことが困難になっています。

実用性との兼ね合い

「脱LDK」は、生活スタイルに合わせた柔軟な空間利用を提案していますが、実際の生活においては、特定の機能を持つ部屋が必要とされる場合も多いです。例えば、プライバシーが必要な作業スペースや、子供の勉強部屋などです。工務店が提案する「脱LDK」の間取りが、実際の生活シーンにおいて実用的でないと感じられる場合、その価値は低く評価されがちです。


以前、「カフェ風」の時代遅れについて触れましたが、脱LDKも似たようなところがあります。本物ではなく「脱LDK風」的な・・・

「商品」「一生の買い物」「LDK」という歪んだ概念。

いつからそうなったのかはわかりませんが、私が住宅業界に携わるようになった頃には、家はつくり手にとっては「商品」、住まい手にとって「一生の買い物」という概念の元、「完成された家=住宅」ということで販売されていました。

これは今でも続いています。そこの共通言語としても、LDKの概念がありますよね。LDKの数字が大きいと、良い家みたいな・・・

これ、おかしくないですか?

LDKの数字が家の良し悪しを決めるのがおかしいのはもちろんのこと、家は売るものでも、買うものでもないと思っています。もちろん、建てるものでも、つくるものでもありません。

もっと根本的なところを考えていくと、家は、「暮らすチカラ」を養う場所だと捉えています。家族とともに成長し、変化していく中で、暮らすチカラを付けていく、というものであるはずです。

モノが不足していた時代の家づくりでは、家を手に入れることが幸せだったし、それによって豊かな暮らしが手に入るという道筋があったことでしょう。

でも今の現実は、それでめでたしにはなりません。家を手に入れた後も、生活はずっと続きます。家はあくまでも暮らしの一部で、家を手に入れたからといって、幸せの追求がそこで終わることはありませんよね。

それをうやむやにして、家を手に入れることが、幸せや豊かさをもたらすかのように宣伝する住宅ビジネスはどこか間違っていると思っています。というか、そういう考えが業界の廃れる原因なのではないでしょうか。

「家とは何か?」から考える。

「家って何?家は何のために必要なの?」という根本的な問いかけをひも解くことからはじめると、家づくりはもっと一般向けに興味深くなると感じています。

そして、暮らしを見つめなおす機会や場を、つくり手と住まい手が一緒になって作りあげることで、本当に大事なのは、家のデザインや性能ではなく、「住まい手の人生そのもの」だとお互い気付くのです。実際、住宅会社や工務店、設計事務所といった家のつくり手だけでなく、キッチンメーカーも脱LDKを掲げ始めていますからね。

脱LDKをベースに考えていくと、いろいろな課題が解決すると感じています。下り坂で衰退している注文住宅だからこそ、「その家に住むに値する暮らしをしたい」と思わせるぐらいの価値であってほしいのです。

リビ充も、脱LDK?

そういえば以前、リクルートが「2017年のトレンド予測」の住まいのトレンドキーワードとして、「リビ充家族」をキーワードに挙げていました。

「リビ充家族」とは、リビングを最大に広げて多用途に使い、空間は共有しながらも各々が充実した時間を過ごすことなので、『脱LDK』と同じ方向性でもあります。空間の共有化、空間の多機能化ってことですね。

多分、土地買って自由な設計で家を建てる戸建て派より、利便性を優先するマンション派の方が、広さを妥協する分、限られた空間を有効的に使おうという意識は高いのかもしれません。実際、リノベーションが流行った背景には、限られた空間をどう使いこなすかを一緒に考えたことも影響していると感じています。逆に、不動産会社が勝手にリノベーションしたものは、イマイチなのでは?

注文住宅の場合、狭小住宅でない限り、狭いと感じたら広げるという選択肢がある分、今ある空間を最大限に使おうという意識が低いんですよね。

この辺が、注文住宅で単なるオープンな間取りにしたところでは意味がない要因になってるんですよね。つまり、脱LDKを、価値へと変えさせるポイントでもあるのです。

脱LDKは、その意識の必要性から、全員に受け止められるものでもありません。つくり手側も、住み手側も、考えない人には無理ということです。だけど、考えることで差が生まれ、価値になるわけですからね。考える家づくりは大事ですよ。

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